鹿内信隆関連エントリー

〔メモ〕フィリピンの従軍慰安婦について鹿内信隆氏の証言

1983年当時、産経新聞(サンケイ新聞)社長だった鹿内信隆氏 (なお、鹿内信隆氏は1942年当時は主計将校として陸軍省に勤務していたので、陸軍の内情を知る立場にあった)の従軍慰安婦(性奴隷)に関する証言が1983年に刊行された「いま明かす ...

〔メモ〕フィリピンの従軍慰安婦について鹿内信隆氏の証言

▼鹿内信隆、春雄、宏明。

今朝のNHKニュースが 「鹿内宏明氏夫妻がニッポン放送株の返還を要求」 と伝えていたとのこと。リアルタイムでは見ていないが、リンク先でビデオを見ることが出来る。 なかなか面白くなってきた。これは勝ち目がないぞ大和証券SMBC。 ...

▼鹿内信隆、春雄、宏明。

2097「不況」08/12/16

... 60年代の終わりには労働組合が結成され、初代の執行委員(日枝現会長、 横沢彪プロデューサーなど)は、“組合嫌い”の鹿内信隆氏をはじめとする経営陣の画策で 急遽作られた外部の会社などに追い出されました。 70年代初めの ...

2097「不況」08/12/16

声に出すと「?」な日本語

... 父親の鹿内信隆の二代目として、鹿内春雄氏は「ジュニア」と呼ばれていました。 その春雄さんが長嶋茂雄と親交があつい、という記事がスポーツ紙に載っていて、テレビの新聞記事紹介で読み上げられたのです。 ...

声に出すと「?」な日本語

東京タワー Ⅱ

... 放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆によって計画された。 塔はフランス・パリのエッフェル塔の324mより8.6m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。 ...

東京タワー Ⅱ

鹿内信隆とは?

鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - 1990年10月28日)は、日本の実業家で、フジサンケイグループ初代会長。
1911年11月17日、北海道由仁町に生まれる。実家は写真館。
北海道岩見沢東高等学校卒業後、1936年、早稲田大学政治経済学部卒業、のちに早大総長で恩師にあたる阿部賢一(徳富蘇峰娘婿)の紹介で倉敷絹織(現・クラレ)に入社し菊池寅七専務が業務拡大のため興した三徳工業の創設事務を手伝い、その常務課長に抜擢された。1938年応召し、予備役召集第一回の幹部候補生となり若松町の陸軍経理部に進み、のち主計少尉。ここで日清紡の専務で軍と折衝していた桜田武や大日本再生紙社長の水野成夫らと需給計画を通じて知り合う事になる。軍務時代慰安所設置に尽力していた。(自著:いま明かす戦後秘史に詳しい)これが彼と財界人脈を結ぶ接点となる。

鹿内信隆の詳細